はじめに。

以前書いていた話題。

暴力が伴う体罰に関しては、これまで反対の立場を唱えていたけれど、ただ一つ危惧する部分がある。それは世の中に蔓延している暴力や『痛み』に関すること。
体罰が社会からなくなることで危惧する一つのこと(SNS型ナカノちゃんねる実験)。 - 伝外超スデメキルヤ団劇

こちらのエントリの続きです。

体罰が社会からなくなることで危惧する一つのことパート2.

かづちやえ 2013/03/11 [22:08]

甥っ子へ最近よく注意するんです。「自分の感情任せで人をたたいてはいけない。」と。暴力っていろいろあると思うんです。甥っ子の件で話をすると暴力というのはヒーローも使うわけで、それ自体完全否定って難しいんです。それでも、最終結論が暴力しかない人と、いろんな手段の中から暴力を選択するところでまず分岐点があるんじゃないかなと思います。


大人が一番してはいけないのは「感情任せに殴る」ことで不条理な環境を子供に強いることではないかと思います。

暴力を肯定するわけではありませんが、そういう表現方法になってしまうことってあると思うんです。そうなってしまってもお互いが納得できる時は、お互いが同じステージに立っている時だけだと思います。コミュニケーションの替りになるのではなく、コミュニケーション(信頼関係)の上でなら成立する場合もあるのではないでしょうか。

暴力の怖いところは、「相手をねじ伏せてしまう」ことだなと。だからこそ、互いの力関係を把握している状態で、危険性を知った上でしか使ってはいけないと思うのです。なのでコミュニケーション不足の現代では、完全否定される流れも自然だとは思います。


ナカノ実験室 2013/03/11 [23:19]

最近見たテレビでは、『師弟関係』が存在すれば『体罰』も肯定される…という話を聞きました。では、現代の社会で考えてみると、どの関係性であっても暴力はイコールで犯罪です。

親と子、教師と生徒の関係性の中で、その柔軟性の中で「ある程度の暴力」が社会の中で許容されているような部分はありますが、それでも体罰を是とするなら、法律の方に働きかける必要があるように思えます。

というようなことを考えてみて、そういうルールでは図りかねない部分がある訳で、『お互いが同じステージに立っている時』というのは納得が行きました。

後、理性等々はない人はない訳で、体罰の負の連鎖もあるように思えますが…。


かづちやえ 2013/03/12 [00:11]

「理性等々はない人はない」とのことですが、理性の枠は人によってかなり幅があると私は感じています。本当に理解できないことをやってのけることができる人もいる訳で…筋道を立てて物事を考え判断する能力として言うと、できない人多いとも思うので。

『体罰』という言葉は難しいですが、『体罰』を行使できる教師って現代にいるんですかねぇ。『体罰』が成立しているなら法律をわざわざ改正しなくても問題はないはずなんです。これは与える側受ける側、両方の問題ですが。

私は法律とか世間の意見とかに個人の意見が偏りすぎて、自分の意見というか自分の軸というか、そういうものが無いから内容が伴わない意見が飛び交っている気もします。あくまで、正しいか間違っているかではなくて個々の人間関係の問題な気がしてなりません。それが自分たちで解決できない。そこに問題を感じます。

もちろん、立場上強い人間が振るう暴力に対してはそれだけでは片づけられない問題もあるかもしれませんが。

暴力の連鎖は確実にあると思います。「殴っていいんだ。」という常識を相手に与えてしまうのは事実ですよね。


ナカノ実験室 2013/03/12 [09:40]

『体罰』という言葉をイコールで『暴力』と考えがちだったのですが、学校内の暴力である『体罰』を成立させるなら…。

「○○なら××」というルールを決めて、執行する側も受ける側も理解した上で、行わないと『成立』とは言えないと思います。

例:)遅刻をしたら平手打ち。

学校や、家庭内で体罰(暴力)が問題になるのは、コミュニケーションの範囲におさまっているけど、基本的に暴力は社会的にも法律的にもNGです。時々、行き過ぎた躾で、子どもを殴った親が逮捕とかされますが、そのニュースを見た時に「親が子どもを殴って何が悪いのか!?」と思う人がいそうですが、どの関係でも犯罪は犯罪で、表面化するまでは、スルーされていることも問題だと思います。


と言うようなことを考えた時に、スポーツの師弟関係も、親子の関係も暴力を伴う体罰を受けることを了解できれば問題ないように思えます。しかし、多くの場合は、子どもは、状況を選ぶことはできなく、適正に(?)暴力を執行する人間はいないように思えます。

かくして私の考えの軸は「何があっても、どの関係性でも暴力は犯罪」と考え、もしも、自分が体罰を執行する側に立てば、受ける側に通知してから行うでしょう(殴ったりはしないですが)。


かづちやえ 2013/03/12 [21:54]

「暴力は犯罪」そうかもしれませんね。それが普通だと思います。

「適正に暴力」は=「理由があれば殴っていい」になりかねませんから、ルールがあっても賛成できません。

ただ、私はその範囲外で成立するものもあると信じています。それはもはや「暴力」ではありませんが。「体罰」・・・とも違うのかもしれません。
それが世間の「体罰」や「暴力」と一緒にされて消えてしまうコミュニケーションの形であることが、少しさみしく思います。

それが無菌化に対する私の危惧です。


ナカノ実験室 2013/03/13 [03:01]

どうにも私は『ルール』の観点で考えがちなのだけど、例えば…。暴力と言えば、暴力が伴う訳だけど…。

・子どもがライターで遊んだから、めっちゃ怒った。
・車道に飛び出しそうになったからめっちゃ怒った。

などの話も消えてしまうような部分は、悲しいような、危惧する部分ではあります。しかし、その結果、親子関係がどう変化するかは当事者の問題で、後に美談となるかは、分からない部分だとは思います。

少なくとも悪い方に変化するリスクと覚悟は必要に思えます。まぁ、体罰、暴力問題は『体罰』という言葉にのっかって、自分の感情を暴力で表現するフシダラな人間が問題を発生させて、拡大させているようにも思えます。


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おわりに。

ちょっとインターネット的な話題としては旬が過ぎていると思うのですが、おそらく答えがでない内容のようにも思えます。私も結婚して子どもができたりしたら、実感として感じることなのかも知れません。